東京鷲神社の三の酉は朝から時雨れていた。俳句の吟行に出かけた私はそこで一葉の記念館が近くにあることを知った。そう言えば一葉はこの辺りに住んでいたのだ。竜泉寺町で小さな荒物駄菓子の店を営んでいたと言う。

この辺りだという見当をつけて歩き始めたが筋を一本間違えたのか、雲行きが怪しくなってきた。辻先の店に居た白い上っ張りの店主に尋ねてみる。

すると店主はくい、と顎を上げ俺について来いと言わんばかりに草履ばきで歩き始めた。程なく記念館に着き、お礼を言おうとすると、店主はすいと片手をあげ去って行った。一葉の時代にもこんな江戸っ子たちが往来していたに違いない。

一葉記念館は改築され、平日の昼にもかかわらず大勢の人で混雑していた。ガラスケースに一葉の自筆が並ぶ。その自筆の草稿や書簡を見て私は驚いた。その字はくっきりと墨跡を残しどれも大きくしっかりと書かれている。

私の中にあった一葉のイメージは短命・貧困にあり薄幸でかよわき人というものであった。だがその筆跡にはそんなことは微塵も感じさせない力強さがある。一葉はたくましく希望を持って生きていたのである。

貧困は一葉を襲った。竜泉寺町での生活は苦しかったに違いない。しかしそこでの生活こそが皮肉にも一葉の才能を開花させたのだ。一葉は確かに存在した。私は新たな目を持って残された作品を、一葉の息遣いを感じようと思う。

鷲神社へ続く参道はますます賑わいを増している。ぽつぽつと灯りも付き始めたようだ。小さな熊手を一つ。私はその町を後にした。

鈴の音の近付いて来る一葉忌     大西 朋


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