受贈句集一句鑑賞
| 2019年 | 2020年 |

2020年に頂いた句集の中から大西朋による一句鑑賞

藤咲光正『一噸』
2020年8月1日発行 ふらんす堂

青空や辛夷全弾発射前
びっしりと枝について開く辛夷の花。青空の中その花はみな上を向いて凛と咲いている。葉に先立って咲くその姿を「全弾発射前」とは、意表を突かれる比喩である。同じような花でも木蓮では駄目で辛夷の花の小振りさがよいのである。辛夷を見るたびに今後この句を思い出すだろう。
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橋本石火『犬の毛布』
2020年8月1日発行 ふらんす堂

干布団犬の毛布がその横に
家族の一員である犬。きっと大切に可愛がられているのだろう。家族の布団がずらずらと干される横に、犬愛用の毛布がきちんと干されて、田舎家の広々とした庭が見えてくる。犬も飼われるならこんな家がよい。
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篠崎央子『火の貌』
2020年8月1日発行 ふらんす堂

狐火の目撃者みな老いにけり
狐火の正体は今もって謎が多いようだが、私の父親も幼い頃、夕方使いに行かされて見たと言う。本当かどうかは分からないが今よりも闇が深く、そんな雰囲気を醸し出す場所が沢山あったのである。「目撃者みな老いにけり」に時代が変わりゆく一抹の寂しさを思う。
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大石悦子『百囀』
2020年7月26日発行 ふらんす堂

鴛鴦の絢爛と流れゆきたる
鴛鴦の作り物めいた美しさは本当に不思議である。本物を初めて見た時、動いていても作り物のようで衝撃を受けた。あの得も言われぬ姿はまさに「絢爛」そのもの。そして泳ぐというよりは「流れゆきたる」のである。鴛鴦の行く先のみがこの世ではないように。
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関戸信治『新走』
2020年7月20日発行 東光社

さくらんぼまだ生きてゐる恋敵
若かりし頃、好きな異性を巡っお互いに腐心した学友。しかし今となってはそれも懐かしい思い出の一つである。「さくらんぼ」という季語がそのことを表しているのではないだろうか。恋敵とのバトルの勝者がどちらか気になるところ。

奥田卓司『夏潮』
2020年7月20日発行 たかんな発行所

農継ぐは這ふことに似て田草取
何かの跡を継ぐということは大変なこと。ましてや体力のいる農業は相当に覚悟がいるものであると思う。田を守るために草を取る日々。「這ふことに似て」とは身をもってを体験するものにしか言えない言葉である。

小河原清江『梛の木』
2020年7月12日発行 文學の森

旅立ちや草取ることも旅仕度
畑仕事や庭の手入れで一番大変なこと。それは草取りである。その草取りをきちんと怠らず、行っていることが、この句からひしひしと伝わってくる。長旅に出るときに一番気がかりなのが草取りとは、同じように畑を耕しているものとして見習わなければならない。 

甲斐のぞみ『絵本の山』
2020年7月5日発行 ふらんす堂

駆け出してサマードレスのふくらみぬ
この句を読んで、宮崎アニメに出てくる少女のキャラクターを想像した。まっすぐなまなざしと、健やかな手足。ぱっと駆け出して、サマードレスが風にふくらむ様が、清々しく読み手の印象に残る。
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伊藤隆『天恵』
2020年7月3日発行 ふらんす堂

息災は天の恵みよ明の春
先日95歳の方と話した時に、長生きするということはすでに運命で決まっていると思うと聞いた。「息災は天の恵みよ」とは作者もそのような境地に立たれているのかもしれない。「明の春」が本当にめでたい。
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中西夕紀『くれなゐ』
2020年6月30日発行 本阿弥出版

ばらばらにゐてみんなゐる大花野
「大花野」という季語に内包される明るさの中にある寂しさ、寂しさの中にある明るさ。それが「ばらばらにゐてみんなゐる」という措辞によって眼前の景だけではない、季語の空間を際立たせている。
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川越歌澄『キリンは森へ』
2020年6月26日発行 俳句アトラス

亀前進たんぽぽを食ひまた前進
目の前にあるたんぽぽをおもむろに食みつつ、その歩みを止めることなく前進する亀。作者は屈みながら、そんな亀を飽きることなく終始眺めている。亀はどこへたどりついたのか亀の行方が気になるところ。
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なつはづき『ぴったりの箱』
2020年6月22日発行 朔出版

はつなつや肺は小さな森であり
体の中で肺は、空気を体へ送り込んで隅々まで行き渡らせる。それは人にとって空気を浄化させる森のような存在かも知れない。はつなつの明るい日の中で清々しい空気を吸い込めば、体は喜んで元気に動いてくれるだろう。
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小島健『山河健在』
2020年6月15日発行 角川書店

ペリカンの水嚙みこぼす大暑かな
ペリカンのあの大きな嘴をこれほど巧みに表現し得るとは思いもよらなかった。ペリカンの大きな嘴の端から零れる水。嘴の大きさ故、まさにかちかちと水が嚙みこぼされて、大暑の日に、その水のきらめきが眩しいばかりである。
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河野美千代『国東塔』
2020年6月11日発行 コールサック社

母の亡し玻璃いつぱいの鰯雲
今は亡き母を思いつつ、ふと窓の向こうの景色を見れば、そこには鰯雲が広がっていた。「玻璃いつぱい」には胸いっぱいに広がる母への思い、もう会うことの叶わない寂しさが詰まっているような表現にも思える。
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茨木和生『恵』
2020年5月30日発行 本阿弥出版

遊びゐる子の声高し曼珠沙華
無邪気に遊ぶ子供達。その明るく高い声を聞けばこちらまで気持ちが晴れやかになってくる。曼珠沙華は鮮やかでありながらも、暗さを持つ花と思っていたが、こういう場面に置かれて、ただただ懐かしい自分の子供時代が呼び覚まされた。
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仲村青彦『夏の眸』
2020年5月23日発行 東京四季出版

きのふよりすこし遠くへ日向ぼこ
ほんのすこしでいいから昨日より今日、今日より明日、一歩前に進む。進んでみればそこには暖かな日差しが待っていて、その温みにすこしでも遠くに来た甲斐があるというもの。私も「きのふよりすこし遠くへ」を心がけたい。
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蟇目良雨『九曲』
2020年4月1日発行 東京四季出版

そら豆のつるんと飛んで五月場所
何が飛ぶかと言えばそら豆が「つるんと飛んで」とにかく楽しい一句。初夏の気持ちも明るくなる季節。五月場所を観ながらつまむそら豆は、ビールも進んで、いくらでも食べられそうである。

礒貝尚孝『黄落』
2020年3月22日発行 東京四季出版

凩の道を曲がれば我が家の灯
どんな時に人は一番安堵するのだろうか。凩の中を歩いてきて、見慣れたその道の角を曲がれば我が家である。「我が家の灯」には帰る家のある幸せと同時に、灯してくれている人のことをも思わせる。作者はもちろん読者もほっとする。
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北杜青『恭』
2020年3月15日発行 邑書林

夜の秋自転車の影人乗せて
静かな秋の夜道。街頭に照らされて一台の自転車が過る。そこに浮かび上がる自転車の影。「自転車の影人乗せて」と描いて、自転車を漕ぐ人がいるはずなのに、自転車も人も道に吸い取られ、動く影のみが映像として頭の芯にこびりついて離れなくなる。
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大北規惠『きらら』
2020年3月7日発行 ふらんす堂

朝の雨胡瓜の花の黄が濡れる
ざっと降った夏の朝の雨。胡瓜を捥ぎに出ると雨に濡れていた。常人であれば、ぱっと目に付くのは胡瓜の葉ではないだろうか。しかし作者はその葉蔭の小さな胡瓜の花に目を留めて、我々に鮮やかな黄色の花を見せてくれた。これからの実りも楽しみである。
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岡崎桂子『大和ことば』
2020年1月27日発行 朔出版

蓮見舟蓮をへだててすれ違ふ
手賀沼で一度蓮見舟に乗船したことがある。湖の近くから見るのと、実際に舟に乗り込んで蓮の中へと入ってゆくのとでは、こんなにも景色が変わるものかと驚いた。「蓮をへだてて」お互いに静かに進む舟。みなその青さに染まっていきそうな涼やかな景である。
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